お金がない人でも音楽制作できる「初音ミク」音声付

ネットのアイドル 初音ミク(可愛いです)。
毎日新聞の記事によると、
「初音ミク」が人気上昇中という。
実在の歌手ではなく、ネット上の女性アイドル。
メロディと歌詞を入力すると合成音声で歌う、
音楽制作ソフト「初音ミク(15000円前後)」が
生み出した仮想アイドルである。
ミクの声は、一般の人でも使ってもらえるように
若手声優の藤田咲さんを起用している。
萌え系キャラの歌声が受けたらしい。
自作曲をミクに熱唱させることが出来る。
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初音ミクに古畑任三郎のテーマ曲を
アカペラで歌ってもらいました。

歌わせてみたよ。「風の谷のナウシカ

織田哲郎、いじけながら作った『シーズン・イン・ザ・サン(TUBE)』

織田がこれまでに楽曲を提供したアーティストは100名以上。手がけた楽曲はおよそ600曲。
プロデュースする時には、全部責任を持つが、曲だけのときは、歌い手には会わずにイメージをふくらます。
そんな中、イメージ以上にふくらんでうれしかったのが、酒井法子の「碧いうさぎ」。
大ヒットして、酒井は9年目で紅白初出演。
さらに平成7年、織田が発掘して育てた相川七瀬がデビュー曲『夢見る少女じゃいられない』で大ヒットした。
13歳からの2年間、父親の仕事の都合によりロンドンで過ごし、デビット・ボウイやT・REXなど20世紀を代表するロックスターの洗礼を受ける。
中学3年の終わりに高知の学校へ転校。当時帰国子女は大変珍しく、学校で孤立した存在となり、追い詰められて心を閉ざし、死をもちらついた。
そんな織田を救ったのはエルトン・ジョンの曲だった。
高校時代からバンドを始め、大学を中退してプロとして活動を始めたが、
全く売れない。個人事務所を開いたため、お金がない
そのため、音楽関係の仕事なら何でも引き受けていた。
そんな時、まだデビューしたばかりのTUBEの作曲の依頼がきた。
夏っぽく、海っぽい歌を依頼されたが、織田は、そんな健全なイメージとはかけ離れた男。屈折した10代。海に行くこともなく、青春を謳歌している連中が嫌いでもあり、うらやましくもあった。
当時、「夢をみれば叶うさ」みたいな曲が多かった。ウソ言え!と思い、もっと違った曲が作りたかった。
海も青春も縁遠い織田のコンプレックスから生まれた曲、
それが大ヒット曲『シーズン・イン・ザ・サン』。
夏のビーチに行ったこともない男が、いじけながら作った。
90年代、ついに織田自身の曲でヒット曲が生まれる。
それが『いつまでも変わらぬ愛を』である。
表面上は恋愛の歌だが、実は、亡き兄へ向けての歌である。
兄は勉強も良くできて、織田にとっては憧れの存在だったが、学校へ行かれなくなり、強い薬の副作用で心臓発作で亡くなった。
その後、旅行で行ったスペインで強盗に襲われ、首を締められて声帯を痛めた。
医者に歌うことはもうできないと言われて、歌うことの大切さに気づいた。現在は、徐々に回復、今また精力的に活動を再開している。 (Dのゲキジョーより)

尼崎脱線から2年、「千の風になって」の新井さんから遺族へ


『写真詩集「千の風になって」を読んだ人からお手紙をもらった。
「一生分の涙を流した。暖かい涙だった。さんざん泣いたら気持がふっと軽くなった」という内容が多い。
我慢した涙は内にこもる。泣きたい時は、思いきり泣けば良い。
事故はあまりに痛ましい。なぜ自分の肉親がこんな目に遭わなければならないのか。
何万回、なぜだと問いかけても答えはない。
自分も医療ミスで、42歳の父親を亡くした。
小学校のころから自問自答してきた。
遺族の悲しみは深く、2年や3年で心の整理をつけることは無理。
一緒に死んでも不思議ではなかった自分が生かされている。 それは、果たすべき役割があるからではないか。
その役割とは何なのかを自問する、それが残された者の義務。
自分の役割を見つけて、果たしてほしい。
それがなくなった人への供養にもなる。
役割はたくさんある。無限にある。
事故に直接かかわりのない人は、大切な人を亡くすということを思いやる。
悲しみを共にするには、思いやることが必要。』
 以上が毎日新聞に載っていた新井満さんのご意見です。
あれから2年なんですね。私には何も言う言葉が見つかりません。
「人には役割がある」というのは、お母様の教えです。
前に、新井さんのお母様について記事を書きました。

「千の風になって」の作者、新井満さんのおふくろさんは?

「千の風になって」の作者、新井満さんのおふくろさんは?

  
1歳で父親が亡くなり、おふくろさんが文房具店と助産師をしながら育ててくれたそうです。
91歳で亡くなるまで両方ともに現役だったとのことで、うらやましい生き方です。
店の前の小学校の卒業生全員に、毎年文具の贈り物をしていたとかで、これもなかなかできることではありません。
新井さんのおふくろさんは
 「どんな赤ちゃんにも役割がある。
  天才には天才の。凡才には凡才の。
  役割が無くて生まれてくる赤ちゃんはいない。
  あなたも早く自分の役割を見つけなさい」
と良く言ってたそうです。
新井さんは言ってます、
「世界で一番の教師は誰かと聞かれたら、おふくろと答えます。」
「世の中の傘」になるのは難しいけれど
「自分の役割を見つける」ことなら、できそうな気がします。
じっくり聞いてみたい方はこちら 千の風になって
歌ネタが多いですけれど、たまたまです。
人に感動を与えることができるような人の言葉は、心に響きます。
お金がなくても、感動することで豊かな気持ちになれます(お金もほしいけど)。
また良い話を見つけたら紹介します。

山口さんちのツトム君♪ツトム君はらんぼう自身


むさしの教育フォーラムで、みなみ らんぼうさんが「思い出の種まき」という講演しました。その要約です。
・母親がくれた歌
中学1年の時に、母親を亡くした。
母親の残した種は悲しい種だった。
32歳で『山口くんちのツトム君』が大ヒットした。
ある時、ふと、ひらめいた。
「この歌のモデルは自分だ!」
♪山口くんちのツトム君♪ 今朝は元気になったかな〜♪
母親を亡くして意気消沈している自分が、幼児となって現れてきた。
これは母親がくれた歌ではないか、母からもらった種が歌になったと思った。
・2反の田んぼ
父親は自分を学校の先生にしたがっていたが、父親の敷いたレールに乗りたくなくて、東京の大学に決めた。
ある日、ホロ酔いの父親が帰ってきて言った。
「やっと田んぼが2反売れた。
この金を持って東京へ行きなさい」と・・
涙を見られたくなくて、自分の部屋に入って毛布を被って泣いた。
親というものは、決断すべきときにはすべき、ということを身をもって教えられた。
・いぶし銀のような花
55歳のとき、キリマンジャロに登った。
その時「僕は一人じゃない。周りの人達によって生かされるんだ」と、自分の内部から湧き上がってくる熱い実感があった。
これこそが花だと思った。いくつになっても花を咲かすことができると感じた。
・夢の種
一般的でないものに価値を見出し、努力して勝ち取っていくロマンや生き方を親が実践すれば子供も、着実に夢に向かって進む子供になるのではないか。
そのためには、いつ生えるかもわからない夢の種を、とにかく蒔く。蒔かない種は絶対に生えないのだから。
ナルホド・・・夢の「種」というところが素晴らしい。
親は時には自分の夢を押しつけたりもしますが、
「種」なら、子供の中で育っていくものですから。
「良い学校に入るために勉強する」のではなく
「自分のやりたいことをやるための学校」を目指せると良いですね〜
私の年になっても、食べられるお金があればそれでいいとは言えない。
夢と言いますか、生きがいが必要です。
仕事をやめたら、どう時間を使うか?
知恵をしぼらなければ・・

「神田川」はいい歌、でも疑問が

  
歌ネタをもうひとつ。
川を見ると、つい、「あなたはもう、忘れたかしら・・♪」
と口ずさんでいます。
南こうせつの名曲です。
でも
「一緒に出ようねって言ったのに、いつも私が待たされた♪」 そこまでくると、いつも思うのです。
一体、そんなに時間をかけて男は何をしているのだろうか?
「洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸 カタカタなった♪」
風邪引くよ〜
男はそこまで待たせて、ゆうゆうとヒゲなど剃っているのだろうか? 早く出てやりなよ〜
「ただあなたの優しさが怖かった♪」
本当にこの男、優しいのだろうか、と思ってしまう。
それとも、片手が不自由で洗うのに倍の時間がかかる?
ありうる。だったらゴメン。
お金がなかったあの頃。
いまでは銭湯がなくなりました。
昔の銭湯はなくなって、なんとかランドとかはあるようですが・・
マッサージ、エステなどのついたお金のかかる施設。
裸の付き合いで、マナーを覚える場もなくなりました。
テレビの旅番組のように、タオルをまいたまま、
入浴する人もいるようです。
昔の情緒はなくなり、歌で昔を偲ぶのみ。

おふくろさんの歌は誰のもの?

  
いい歌ですね「おふくろさん」
でも、もう聴けないかも?
森進一の対応のまずさを感じます。
もう30年も前から、問題のセリフをつけて歌ってきたので
「この歌はもう、自分のもの」と言う意識が強すぎて
「いまさら何を」と反発したのがまずかった。
作詞家の川内康範さんも、よく今まで気づかなかったと思いますが、この方は、自分の作品に手を加えられたりするのが、とても嫌い。
しっかり怒らせてしまってから、雪の中、
手土産を持って青森に行ったけれど、会えなかった。
川内さんはこれを「三文芝居」と、断じて絶縁を宣言した。
困ったものです。お金は問題外ですね。
 私は自分の母親をそんな風に思ったことはありません。
 子ども達から思われていない自信があります(トホホ)
川内さんは、自分のお母さんの言葉を紡ぐことで、この名曲を書き上げ、
森さんは自分のお母さんを思いながら歌ってきた。
この歌のような、立派な「おふくろさん」のイメージを
お持ちのお二人です。
「おふくろさん」なら、きっとこんな風に言うと思うのです。
『ケンカはおよしなさい。山のようにゆったり、どっしり
していればいいのです』って・・
「おふくろさん」を悲しませないでください。
歌を聞きたい人がたくさんいるのですから・・
 マメ知識
  川内康範さん 1920年生まれ  「月光仮面」、
  「七色仮面」、「愛の戦士レインボーマン」の原作、
  「骨まで愛して」(城達也)、「君こそわが命」(水原弘)、
   誰よりも君を愛す」(和田弘とマヒナスターズ)など
  なお、日本音楽著作権協会は、7日、改変版は使用許諾できないと
  通達した。  オリジナル版は使用できるそうです。

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